夕日丘


                                         夕凪さん 



その7 演奏会の後で



東次郎は本当に驚いた。

まさか孫の言っていたフルートの演奏家があの公園の男だとは考えもしなか

っただけに、音楽室に入ってきた演奏家を見たときはとても嬉しくて、ひと

りでにニヤニヤとしてしまった。

やっぱり、公園で聞くよりも音響効果を考えて作られた音楽室での演奏は比

べ物にならないくらいに東次郎を感激させた。

演奏が終わったときは皆と一緒に盛大な拍手をした。

本当にみんなあの男性、白石と言うらしい、の演奏に感激してくれたので、

東次郎も嬉しかった。

知らない男性のことなのに何故自分の事のように嬉しく思えるのか不思議に

思いながら拍手をしていたのである。孫に感謝したいと東次郎は思った。も

し、知らずに公園へ行っていたらこの男に会うことが出来なかっただろうし、

この素晴らしい演奏会を知らずにいたと思うと、いやみを言った息子にも感

謝したい気持ちであった。

男がアンコールの曲を求めたとき、東次郎は一瞬ためらった。誰かが何かを

言うであろうと周りを見回してみたが、一向に誰も曲名を言うものがいなか

った。東次郎は非常に残念に思い、又、アンコール曲の注文を待っている男

に対しても申し訳なく、かわいそうになってきた。

『よし、誰も居ないなら・・・』と自分に言い聞かせ、学校の生徒のように

手を上げてみた。ところが東次郎が手を上げているのに演奏家も紺野先生の

甥の藤間先生も東次郎の存在に気が付いていないのである。

『何たることか、これがいまどきの先生のあり方か・・・』などと批判して

も始まらない。どんどん時間が経って行ってしまう。

東次郎は心を決めて、小さく咳払いをしてから、

「あの、メルカダンテの・・・」と注文してみた。周りのご婦人方がざわざ

わと私語を交わし、己の教養のなさを暴露していた。こんな曲ぐらい知って

いてもよさそうなのにと東次郎は思い、がっかりしながら、演奏家の返事を

待った。演奏家が、にっこりと笑って東次郎を見て、承諾してくれたときは

東次郎は天にも昇る気持ちであった。

あの男もわしの存在に気が付いたらしい。わしの顔を見てにっこり笑ってく

れたじゃないか。それに、わしのアンコール曲をあんなに上手に吹いてくれ

た、多分あれはわしの為に吹いたに違いない。はて、あの男はわしのことを

意識してくれているのだろうか?

演奏が終わり、みんなの盛大な拍手に送られながらあの男は音楽室を出て行

った。でも、一度振り返ってわしのほうを見たときは嬉しかった。又、次の

土曜日、いや、明日の日曜日に会えるかもしれない。多分、土曜、日曜と演

奏に来ているに違いない。わしの散歩の時間帯を変えねばならんなと独り言

を行って、孫に挨拶をして、音楽室を出て、帰宅することにした。

夕方、紺野の奴が電話をしてきた。まさか、あいつがあの演奏家と懇意だと

は思わなかったが、いったいどこでどのような繋がりがあるんだろう? と

にかく、あの男にもう一度会えるなら、招待を断るわけにはいかんし、三郎

夫婦もわしと同じく招待されているんだから、これはいい機会に違いない。

そう思いながら、息子が帰宅するのを待ち遠しく思った。

「おじいちゃん、入ってもいい?」と孫の声がした。

「お、洋介か、お入り」その声を聞いてドアーを開けて孫が入ってきた。

「おじいちゃん、今日は有難う」

「いや、わしはお前に礼を言わんと行かんな」

「どうして?だって、おじいちゃんが用事があったのに、僕が無理に頼んで

参観に来てもらったんだから、おじいちゃんがお礼を言うことなんかないよ」

「いいや、わしはお前のお陰でとても素敵なフルートの演奏を聴くことが出

来た。死ぬまでにあんな音楽を聞かせてもらえるとは思わなかったので、お

じいちゃんはとても感激して涙が出たよ」と東次郎は感激して言った。

「へえ、そうなの・・・」

「ああ・・・」

「ぼくね、きょうね、おじいちゃんがあの先生にアンコール曲を注文してく

れてね、とても鼻が高かったんだ。だって、自慢している重ちゃんや陽ちゃ

んのご両親だってクラッシックのフルートの曲を注文できなかったんだもん、

さすがは僕のおじいちゃんだと嬉しかったよ」

「おお、そうか、おじいちゃんもあの先生がおじいちゃんの注文した曲をあ

んなに上手に吹いてくれたんで嬉しかったな」

「そうだね、とても素敵な演奏会だったね。僕もフルート習ってみようかな

・・・」

「ああ、お前がその気なら三郎に話してやろうか・・・」

「うん、その時はお願いね」と言って孫は出て行った。



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