夕日丘


                                         夕凪さん 



その8 中華料理店で



その日の夕方、少しフォーマルな服装に着替えた豊は二人の熟年紳士が待つ

中華料理店へ出かけた。

中華料理店へ入ると、店の入り口にあるバーに紺野さんと社長とが食前酒を

飲んでいた。

「社長、遅くなりました」と豊は挨拶をした。

「ご苦労さん」と少し赤い顔をして、桃谷社長が豊かに言った。

「社長、お招きに預かり光栄です」と頭を下げてお礼を言った。

「おい、白石君、ここでは普通の人として扱ってくれんか。そうでないと後

でこいつにいやみを言われそうで・・」と言ってグラスを紺野さんのほうへ

向けて言った。

「そうさ、身分を見せびらかすのはすかんからな。さ、食事にしよう」そう

いって二人は立ち上がった。

個室を予約していたようで、店の奥の個室が並ぶところへ案内された。

豊は3人だと思っていたのに、10人がけの席が用意されていたので吃驚した。

豊が不審に思っていると、「ついでだから、皆呼んだのさ、どうせ支払いは

こいつだし、それに、皆先生に会いたいと言ってきたんでな」と紺野さんが

言った。

豊は紺野さんが言った、『みんな』とはいったい誰のことなんだろうと不思

議に思いながら席に座った。

社長、紺野さんが座り、豊もその隣に座った。

「遅くなりまして」と言ってその時、人々が入ってきた。

入ってきたのは紺野さんの甥夫婦、あの老人とその息子さん夫婦と紺野夫人

であった。

「やあ、いらっしゃい」と言って紺野さんがみんなを座らせた。

「白石先生、こちらはわしの家内です」と紺野さんが豊かに紹介した。

「佳子と申します」と紺野夫人が挨拶をした。

「白石です、はじめまして。あ、奥さん、こちらへいらっしゃいませんか?」

と豊は紺野さんの隣に座った自分の席を立とうとした。

「先生、そんな遠慮はいりません、家内とはいつも顔を合わしていますから

・・・、わしは先生と一緒にいたいんです」と最後の言葉は小声で言ってウ

インクした。

「こちらが、黒岩先生、昔、わしらの学校の校長をされ、退職後もこの町に

住まれているんです。それから、こちらは先生の息子さんとその奥様」と紺

野さんが残りの人達を紹介した。

「はじめまして、黒岩三郎です、家内の奈々子です。今日は息子の洋介が先

生の演奏を聞いて、興奮して学校から帰ってきまして、そんなに良いのなら

出席すればよかったと家内と悔やんでいるんです。でも、親父が私の代わり

出席してくれたんですが、その親父も先生の演奏が素晴らしかったというの

で、今日はぜひお目にかかりたいとおもって、紺野さんに特別お願いして出

席させて頂きました」と笑顔でい豊かに称賛の言葉を述べた。

豊は驚いて、「そんなお言葉に顔が赤くなります・・・、実は私はこの年に

なるまでコンサートなんて開いたことは一度もなく、人前で正式に演奏をし

たのは今日が初めてなんです」と頭をかきながら言って、名刺を出して手渡

した。

「え?ご冗談でしょう?」と豊の名刺を受け取りながら黒岩三郎さんが驚い

ていった。

「本当なんです。親父が音楽が好きで、無理に子供時代にフルートを近所の

先生に頼み込んで習わせたんです。でも、引っ越してからは特別にレッスン

を受けずに、ずっと1人で練習してきたものですから・・・」

「それにしてはうまかった」と黒岩老人が二人の会話に口を挟んだ。

「あ、黒岩さん、初めまして、今日は素敵な曲をリクエストくださいまして

有難うございました。お陰で皆さんも大変、喜んでくださいました。貴方の

お陰と感謝しているんです・・」と豊は丁寧に頭を下げて、お互いが初めて

会ったように挨拶をして、名刺を差し出して黒岩老人を見つめた。

「いいや・・・、今日はこの年寄りの無理難題を聞いてくださって有難う」

と言って黒岩老人も頭を下げて席に着いた。

「今回の張本人の甥夫婦です」と次の二人を紺野さんが紹介した。

「アラ、叔父さん、嫌ですわ、そんな言い方。私、先生の発見者。感謝して

もらわないとね。藤村万里子です、先生にこの様に身近にお目にかかれて、

うれしいですわ」と嬉しそうに言った。

「先生、今日は本当に有難うございました。すごい反響で、音楽を好きにな

った生徒が増えました。又、お願いいたします」と藤村先生が言った。

「へえ、そうですか?あんなのでよかったら・・・」と豊は恐縮してしまっ

た。

その時、前菜が運ばれてきて、皆は色んな話題を持ち出しながら、自分の皿

に料理をとっては食べ始めた。

豊はそんな人を眺めながら、適当に相槌を打っては食べ物を口へ運んでいた。

隣でビールを飲んでいる紺野さんの膝が時々当たるのが気になったが、豊は

出来るだけ無視することにした。

あまり真剣に考えて恥をかけば、社長の友達だけに問題が大きくなるのは火

を見るより明らかであった。

それで、豊は正面に座って、礼儀正しく箸を運んでいる黒岩老人を時々観察

することにした。

黒岩老人は今日も素敵な服装であった。

やはり首にスカーフを巻いていた。

目鼻立ちがはっきりしていて、一見頑固そうに見えるが、とても知的で、何

歳ぐらいなのだろうか・・・と考えてみた。

食事が終わりに近づき、最後のフルーツになったときに、紺野さんが豊の耳

に口を近づけて、「ちょっと、トイレまで連れて行ってくれませんか?飲み

すぎて立てなくなった」と言ったので、「わかりました」と小声で答えて、

豊は席を立った。

紺野さんが立ちあがり、ふらっとしてので、豊は紺野さんの腕をつかんでゆ

っくりとエスコートした。

「おい、紺野、お前1人で歩けんのか?」と社長が二人を見て言った。

「うるさい、だまれ!」と口では元気な声を出しながらふらふらと歩き始め

たので、心配になった豊は後ろから腰を支えてついていった。



                                                    続 く 







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